002:信越境秋山之圖

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鈴木牧之が1828年に故郷の塩沢から十数日をかけて訪ねた秋山郷探索の絵図である。平家の落人が開祖と言われてきた秋山郷において、独特の興味と観察眼から人、文物、年貢などの生活慣習を記録している。この『秋山記行』は多くの先達の研究者により検証、論述されているが、私が興味を持ったのは鈴木牧之がどこの地点でどのように中津川を超え対岸に渡ったのかということだ。特に見玉から入境した彼は、清水川原を「秋山で最初の村」と記しているが、この時に、つまり往路で中津川の対岸の逆巻に渡っていたのかどうかということである。猿飛橋(橋といっても丸太をつなぎ合わせたものだが)について装画とともに記述があるが、猿飛橋を渡って、つまり中津川の左岸から右岸に至ったか否かが重要である。このことは1824年8月の中津川の流れの水量を推し量る証左となるためである。鈴木牧之は折に触れて渡河についてその恐怖感を装画とともに述べている。秋山郷でのこうした危険と隣合わせで日々生活した先人たちのあり様が見えてくる。決して桃源郷ではなかったはずである。