012:牧之が歩いた秋山郷

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現在は草地に覆われているが、1960年、1977年などの国土地理院の空中写真から中津川の北側に湾曲したかつて流跡が3~4筋が確認された。鈴木牧之が訪れた1820年代以前については確たるデータを入手することができなかった。大割地域の農業開発に伴う農業用水路の整備と取水、東京電力の高野山ダム建設や川砂利の採取などにより、中津川の水量、流路が大きく変化したことが十分想定できる。
現在の清水河原を形成している岩石について見ると、通常の川砂利の堆積は見られず、岩型も河川水による摩耗が認められないことから、比較的近年の安山岩火砕岩の崩落堆積物、岩屑、礫の崩落が河床に堆積し、それによって水量や流型が急速に変化したものと推定される。